日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

あえて抵抗しない。

 本日は休日。 自由の身。

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに夜明けの微かな光の中で写真を撮りたくなり、午前3時半ごろに家を出て、駅までの道を三脚を立てて撮影する。 駅近くの商店街は、毎年恒例の「七夕祭り」・・・の開店前の風景。 シーンとしている。

 

 その後、コンビニでおにぎり2個とほうじ茶を買って、午前5時の京阪電車に乗り、終点の淀屋橋まで居眠りする。 到着した頃には、僕の頭の中は空っぽである。 

 何しに来たんだっけ? と思い出しながら、思い出す前からシャッターボタンを押す自分。 身体に刻まれた習慣なので、どうってことない。

 

 

 

 

 

 

 

 自分の署名が入った「都市風景」の写真は、どうやれば撮れるのだろう。 今の課題である。

 

 京都ではあまり見られない大きなビルの立ち並ぶ風景は簡単に画になってしまうので、撮ってて手応えがない。 仲良くなれない関係のまま、相手に振り回されるのは根っからの僕の体質だ。 そんな悔しい思いは言葉ではなく、写真でお返ししたい。 

 

 そして、撮影の終盤になって気がつく。 相手を倒すまで撮り続ける以外ないのだろうなということを。 怠けている自分に気づかずに理屈だけを捏ねたところで、自分に都合の良いことしか言えない。

 時代によって、言葉の重さは変わる。 安易な言葉は人を自滅させる。 だからこそ、時間は無駄にはしたくないと思う。 自分の身にまとわり付いたありとあるあらゆる悔しさは、常に自分を奮い立たせてくれる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 淀屋橋から梅田まで歩いたけど、まだ撮影を終わる気になれず、道を変えてまた淀屋橋まで撮りながら戻ることにした。 そこではじめて幾らかの撮れた感触を得ることができたので、この後に用事もあったし、8時過ぎの京阪電車に乗って京都に帰った。

 314カット。 そう言えば、雨、降らなかったね。