日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

附に落ちるところ。

 今日の写真は、先日大阪で撮ったやつの残り。

 

 

 

 

 写真を展示をしてみないかというお誘いを受けて、先日の夜、友人のカフェにて、実際に作品を置いてみながら、展示のプランを話し合った。 

 

 日頃の搬入の際はあまり時間がかけられないのがほとんどで、あらかじめ考えておいたプランを再考する暇なく一気に仕上げることが日常茶飯事。  なので、友人からのこの申し出はありがたいと同時に、「え、いいの?」 といった感じだった。

 

 でも一度いろんな可能性を考え始め、予備で持って行った作品も並べ始めると、僕が用意していったプランはあっという間に色褪せてしまい、友人と僕の頭の中には新たな世界が広がり始めた。 作品の一部は残し、「改良の余地あり」は持ち帰って考えることになった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、この数日間の夜と朝、僕は新たに展示に加える作品を選び、そしてそれを反映したブックレットの構成を考えている。 

 

 考えていると言っても、YouTubeの音声のみを聴きながら、選んだ写真のスライドショーをぼんやり眺めているだけ。 鬱々とは考えない。

 心掛けていることは、無理にこじ開けようとはせず、いじくり回さず、思いついた「それ」が自然に腑に落ちるところを目指す。 考えすぎても、本当にいいことはない。 

 

 

 そんなわけで、稲川淳二の『生き人形』を久しぶり聴いた。

 いつも年に数回聴いているが、たぶん今年は初めて。 もはや、年中行事みたいな気分である。 およそ1時間23分の、実際に起こって、そして今も続いている怖い話。

 もし、お時間のある人はどうぞ。