日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

割り込む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝の撮影は・・・

 京阪電車の「北浜」駅で下車して、南方向へ歩き出す。 「心斎橋」から「なんば」「新世界」を経て、「西成」へ。 「飛田新地」まで行って折り返し、再び「新世界」まで歩いてから、「動物園前」駅で御堂筋線に乗って「淀屋橋」で下車。

 そこで一度休憩し、さらに「梅田」まで歩き、「ヨドバシカメラ」で買い物を済ませて・・、その後阪急電車に乗って、京都に帰ってきた。 

 

 大阪にいた約6時間を思い返せば、いろんなことがあった。

 後になって振り返ると、朝の6時に北浜駅に降り立つ場面が遠い昔のように感じる。 やはり次から次へと出会う景色に心を奪われるから、そうなるんだろうと思う。

 

 写真を撮ることで、心の旅が生まれる。 カメラは使い方次第で、良い道具になる。 写真は、付き合うには良い相手。 研究材料。 謎が多い分、興味が尽きない。

 

 ただ、すべてが平和だということでもない。 

 写真家は目の前の現実に割り込む力が無いと、他人様に見せることができる写真など到底手に入れることが出来ない。 技術よりもそれが大事。

 『写真を撮るために用意されているものは何もない』からこそ、写真を撮ることで見つかる何かもあるのだ。 

 きれいなものを目の前にしたりして、与えられたものだけを受け取っているのでは、写真を撮ることで生きているという実感も生まれない。

 実際に自分の足で歩かないと。