日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

のろのろと歩く。

 

 今日は休日。 自由の身。 午前6時半ごろから、大阪西成区堺筋の西側の界隈を歩きはじめる。 そっち側を歩くのは初めて。

 首からカメラをぶら下げてはいるが、街の風景に溶け込みたく、自販機で買ったコーヒーを飲みながら、おじいさんのようにゆっくり歩いて、街を眺めて回る。

 通りのあちこちにたむろし会話する人々。 皆さん朝から元気。 お酒も美味しそう。 ニヤニヤしながらも神経は使い、タイミングを見極めながら写真を撮る。 

 

 

 出会うものの全てがかっこいい。 異世界を好奇な眼で眺めているのではない。 出会うもの全てが画になる。 心からそう思う。 もし自らの欲求の思うままにシャッターボタンを押せたなら、カメラを顔から下ろす時間は、ほとんどないだろう。 まあ、実際そんなわけにもいかないのだが・・・。 とりあえず撮っていてトラブルに遭遇するようなことはなかった。 

 

 時折、撮り終わってカメラを下ろし、ふと気がつくと、すぐそこにおじいちゃんが座っていたりするから笑える。 存在感が消しながら向こうさんは自分の世界に入っていて、僕のカメラなど全く気がつかないご様子。 

 あと、今ではどこの町でもひっそりとしてしまったタバコやさんの前に、お客さんが数人並んでタバコを買っていたりするから驚く。 何だか嬉しくなってしまう。 

 

 撮ってはその場から立ち去るようなセカセカした行動よりも、おじいちゃんのようにゆっくり歩いて撮るのは、とても良いような気がする。 それなりの注意は必要だが。

 

 

 今朝も「西成」の通りをぐるぐる周り、「あいりん地区」も眺め、その後、「新世界」を挟んで、動物園前の商店街の突き当たりの「飛田」にも足を伸ばす。

 結果、今日1日で25,501歩を歩いて、741カットの写真を撮った。

 写真の出来はこれからの判断になるが、自らの行動としてはよく頑張ったと思う。 もちろん、まだ足りないという気持ちもあるが、とりあえず今日のところは偶然出会った人との会話もあったし、街の懐にも入って快く受け入れてもらえた印象もある。 

 

 いつものことだが、写真を撮っている時のどこに行くかわからない未知への感覚は、とても気持ちが良い。  眼前の風景に自分の内面が混ざり合う瞬間の、即興の能力が問われる。 ほとんどが失敗だけど、数でカバーする。

  

 この後に撮った写真は、また後日に更新します。