日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

美化しない。

 

 明日からの3日間、里帰りするので、大阪の撮影は休むことになる。 少しもどかしい。 京都、大阪に並行して田舎では田舎の写真を撮り、それをまとめたシリーズを完成させる。

 

 

 急がなくとも、自分はいずれ自然には帰る。 別に専門的知識は持ち合わせてはいないが、資質は十分にある。 生まれてからの自らが知覚したものを、もう一度味わう。 そこに知識は必要ない。 

 

 

 美化しない。 カメラが写した事実を芸術的に加工しない。 

 

 

 西成のスーパー玉出にて。 「おじいちゃん」、めっちゃ魅かれた。 とてつもなく、かっこよかった。 何が僕をそう思わせるのか?

 

 

 いろんな場面を、人は頭の中に併せ持っている。 何者とも判断つかない自分のいる場所はどこなのか。 どんな場所なのか。 そんなことを考えているうちに、もう気取っていてもしょうがない状態になってくる。

 

 

 撮る行為は薄汚れている。 自らという人間は薄汚れている。 キズつきながらも写真を撮りたいという欲望を持つ自分。 欲望は常に薄汚れている。