日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

足るを知る。

 今朝の撮影はなし。 悔しいが、家でやらなければならない事がある。 今日upする写真は前回の残り。 

 

 手塚治虫を読んでいる、ちょっとした時間に。 

 大阪で適塾の建物を見つけてから、『陽だまりの樹』を少しずつ。

 老眼が進んだ事もあって漫画の吹き出しが、読みづらい。

 ベタの白抜きの文字など、とくに読みづらい。

 

 昨夜からは並行して『火の鳥・鳳凰編』も読み始めた。

 でも10代の頃に読んだ感覚とは明らかに異なる。

 当時は我王の人生を中心にして読んだが、今は違う。

 若き我王に殺された人のことを思う。

 彼らにも輪廻転生があるのだということを考える。

 


 『吉本ばななインタビュー集』という本によると、

 宜保愛子さんは、人間は人間にしか生まれ変わらないと言っている。

 僕はそれを信用している。 

 実際は、火の鳥のように虫けらには生まれ変わらないらしい。

 前世も来世も人間。 で、凡人。

 期待しない方がいいらしい。

 前世のことなど、思い出したくもないし、

 来世のことなど考えたくもない。

 そういうもんだな、と思う。

 

 

 「足るを知る」。

 切実にそう思う。

 写真などをやってはいるが、

 それも「生きる」を循環させて継続させる自分なりのやり方の一つ。

 『火の鳥』で我王が仏師として目覚めるという物語とは、また別のこと。

 僕のことは他の誰のものでもないし、物語ですらない。

 

 

 そんなことが頭の中でぐるぐる回ってて、眠れない眠れない。

 そんなわけで、

 午前3時半ごろに布団から出てこれを書き始め、

 気がつけば、4時44分のゾロ目。

 こういう時間はめっちゃ進むのが早い。

 

 

 そういえば、

 先週、久しぶりレコード屋さんに入って、

 荒木一郎の『空に星があるように』のシングルレコードを見つけて買いました。

 400円なり。

 良かったら聴いてみて