日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

ささやかな望み、叶えたまえ。

1月3日 京都

 

1月4日 大阪

 写真を撮ってて、あんまりだなと思う日でも、実際の上りにはそれほど影響してなかったりする。 要所要所を撮れていたなら、それでOK。 でも撮っているときは、それが判別できない。 

 

 昨日1月6日の撮影などは自分では調子が良いように思えてたが、空振りが多かった。 昼食に北新地で天一を食べて、そこからもしばらく歩いてみたら、1日の歩数の合計は 37,492 歩。 最高に歩いた。 でも、歩いただけ。 

 中にはいい上がりもあったけど、撮っているときに期待したカットほど、大したことはないのがほとんど。 経験上凡庸なカットほど意外性のあることを知ってはいるから、気持ちの浮き沈みはそれほどなくて済む。 

 服部良一の出身地であると聞いた玉造。 そういうのがあると、心にロマンらしきものが生まれる。 興味をもつきっかけは何でも良い。

 以前歩いた時は公園でおじさんおばさんがラジオ体操している場面に出会ったが、昨日は方角を間違えて、そこにたどり着くことはなかった。 

 

 ひとり新年会をやりたいなという気持ちがあったのだけど、その余裕も歩いているうちになくなってしまった。 先日などは第7回フジダイ・レコード・フェアにも行ってはみたが、レコードを探す気力もなくなり、何も買わずに帰ってきた。

 いや、その日は久しぶりに写真集を買った。 丸善で、瀧本幹也『 nonocular 』というのを買った。 こういう薄っぺらな装丁の簡素な写真集は好きだ。 盛りすぎないところが良い。 「文学的ではない」というのか。

 

 実は先日、勤め先の仕事で、この瀧本氏に関わる活版の印刷をした。 悪くはない仕事で、こういう仕事をすると、自分の気持ちも救われる思いがする。