日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

侘しい気持ち。

 1月1日の最初の地震発生の時は、JR長浜駅で電車に乗り換えの最中だった。 そこから電車のダイヤは乱れ、たどり着いた駅でもタクシーも配車が無く、寒くて暗い道を実家まで歩いて帰ることになった。

 実家のTVをつけると、能登半島辺りは大変なことになっている。 とりあえず僕は風呂に入って冷えた身体を温め、母と晩ご飯を食べた。

 

 翌2日と3日は午前6時過ぎに母の自転車を走らせ、撮影に出かける。

 (最近は降雪量は減ったけど)雪国の冬というのは、侘しいものだ。

 

 先日降り積もった雪が解けて、今年は暖かい正月だとは言え、曇天の空の下、飄々と風が吹く田畑や山の枯れた風景を眺めるのは、心が沈む。 カメラのレンズをそこから背ければ、僕の写真はそれで解決するのか?  無限ループの問いがまた始まる。

 

 僕の出身地の余呉町には、余呉湖がある。 その水辺の風景というのは、ほんの少しの時間だけ侘しさから逃れることができる場所。 とくに夜明けと夕刻の時間は、何とかなりそうな気持ちになる。 そんなのを求めて、2日間の撮影を余呉湖一点に絞る。

 などと思いながら、その帰り道、いくらか別に撮ってみる。 何度こんな行動を繰り返してきたのか、そしてまた京都に戻り、明日の朝は大阪で写真を撮るのである。

 考えたところでどうにかなるわけでもないのさ。 そんなこと考えてたら、写真が撮れなくなってしまう。 

 

 あけまして おめでとうございます。 今年も引き続き、写真を撮ります。 よろしく。