日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

釜ヶ崎。

 大晦日の今朝は、撮影は休み。 昨日はそのつもりで大阪で撮影して帰ってきた。 午前6時30分から正午までの約6時間の間に、26,708歩を歩いて863カットの写真を撮影する。

 

 街を歩いて、ひたすら写真を撮っていると、いつもいろんな局面を迎える。 他人が見てもなんとも思わない出来事も写真を生み出したことで僕の中に何かが刻印される。 写真を撮っている時間の濃密さは、他のものには変えがたい。 

 インスタにあげた上の写真は、西成区の「あいりん総合福祉センター跡地」で抗議活動中のおっちゃん(たぶん年齢は僕とさほど変わらないと思う)と話をし、撮らせてもらった写真である。 「こんなのを食べました」というようなグルメ写真ではない。

 「おっちゃん」は積み重なった物のレイアウトをさっきやり終えたから撮ってくれと話しかけてきた。 もちろん望むところなので、ありがたく撮らさせてもらう。 お金も欲しいと言ってきたが、こちらも全然金持ちではないので、それはできない。 たまたまこの日はタバコを持っていたので、1本あげて火をつけ、自分のにも火をつける。 

 

 向こうは自分の事情を明るく話し、それに合わせて僕も普段にはないほどのテンションと声を張って会話をした。 わずか15分ほどの会話だったが、壁はなく、異次元なほどにすんなりと互いの人となりを披露し合い、「良いお年を」と言って別れた。

 

 写真の「玉子うどん」らしきものは、途中から現れた「職人さん」が作って持ってきた朝ご飯。 「おっちゃん」にそれを撮らせてくれないかと頼むと、「おっちゃん」は「職人さん」に許可を得て、ニコニコしながら写真を撮らせてくれた。

 

 「職人さん」は僕にも勧めてくれたが、僕はその時モーレツにトイレに行きたかったので、下ネタまじりに丁重に断った。 その時のこちらの下ネタに「職人さん」が笑ってくれたのが嬉しかった。 

 JR天王寺駅から歩き始め、風景の引力に導かれるままさまよい歩きだしてしまえば、もう自分に嘘をつくことはできない。 

 「あいりん地区」では人は撮ってはいけないが、風景や物は撮ってもいいと「職人さん」は言った。 だとしても、西成の街で独り写真を撮ろうとするには、それなりの覚悟が必要となる。 しかし、なんだろう? あの街の説得力と濃密さは。 

 その後もミナミを通って、梅田まで歩いた。 

 

 京都に帰ってから、丸善にてホンマタカシ『たのしい写真3 ワークショップ篇』を買って帰る。 年明けに田舎に帰るので、そこで読もうと思う。

 

 今年1年も、ありがとうございました。 また来年もよろしくお願いします。 引き続き、いろんなことに負けずに頑張ります。