撮りたいという欲望を街頭でムキ出しにするのは、恥ずかしいものだ、普通は。
お金になるかどうか保証はない。
写真を撮るすべての理由は自分の中にある。それがなければ始まらない。
そしてその時、自分の中に葛藤がないはずはない。
そんなのも慣れた。
まず1回きちんとシャッターを切ってしまえば、そのまま夢中になれる不思議な習性。
下手に仕事を理由に撮らなくて済んで良かったとさえ思う。
社会的理由が無いけど、それでも撮るというのが本来の「写真」と「写真行為」なのだ。
頼まれて撮ったところで、面白くなくて全然やる気が起こらないし、僕にはできない。
その理由は、直感を必要とされる自由さがそこに無いからだと思う。
相手や世間に合わせることができないから、自分自身がその依頼に対して何の欲求も無い空っぽの状態になってしまい、相手の操り人形として動くしかなくなってしまう。
その居心地の悪さは、底知れない自己嫌悪につながる。
今日の午後、近所を散歩しながらモノクロで撮る。強い日差しによる光と影。この美しい世界。
8,168歩歩いて、138カット撮影