日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

大竹伸朗『18』の古本。

 

 

 先の更新で、写真がダブってしまった。 文章を書くことで、すでに集中力が尽きてしまいました。 書くのも、一度悩みだすとなかなか終わらない。 

 

 その後、外で1人、遅めの昼ごはんを食べ、その足で11月恒例の百万遍知恩寺・古本まつりに行きました。 いつもは特別な期待もせず、何となくで立ち寄る感じなんだけど、今回は探す気満々。 何だか欲しい本が見つかる画が浮かんだんだよね。 

 

 で、見つけました。 大竹伸朗『18』。 

 

 著者が18歳の時に働いた北海道東部・別海町の牧場での記録。 牧場で働く作業の空き時間に記録し残された「写真」と「絵」で構成されている。 

 

 YouTube の 対談で茂木健一郎氏も言っていたように、たしかに写真に写る別海の風景は日本じゃないみたいに写っている。 撮影者の見ている印象が写真自体に映り込んでいる感じ・・・そういうことってある。 同じようなカメラを使っていても、撮る人によって全然違うものが写ること。 だから写真を撮るっておもしろい。 何でもないものが時には特別な何かに見えたりする。 

 

 先に更新した写真家「牛腸茂雄」に、子供の頃写真を撮られた男性も、自宅の前の何でもない場所で撮られただけなのに、違う場所に見えるって番組で話していた。 

 

 自分の場合もそうだけど、何をどんな感じで見ているか、または見えているかは、できた写真を全く別の印象にしてくれる。 こんな感じで写ったのかと一瞬、驚いたりする。 そういう写真て結構後まで残る。 それは写真の本質にも繋がるんじゃないかしら。

 で、こういうことって、実際やっている人間にしか判らない。 

 そのことを言葉で伝えようとしても絶対無理。 鼻で笑われるのがオチである。 常識では語れないこともあるのだ。 

 と、いうことを言葉にできるのも、大竹伸朗氏が対談なんかで事あるごとに、そういうことを口にしてくれるから。 言葉で表すことができないから、絵を描くっていう根本的なこと。 この人の言葉で、どれほど僕自身も元気がでたかわからない。 

 

 「何が作りたいか」なんて、実際に作ってみなきゃわからないよ。 創作の現場って、そういうもんよ。 いや、ホントに。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話を戻して、この『18』って本の古本。


 もともと定価5,500円+税の本が、古本まつりでは4,000円の値段で売られてた。 この文章を書いて、リンクするために検索すると、この本もネットでは結構なお値段。 

 僕としては、今日まで存在すら知らなかった本が手に入ったので、結構、満足しています。

 

 

 

 

 

 

 

私の写真集は shop または、以下のところで発売中です。

 

 VOICE  GALLERY  

修美社 

 ホホホ座浄土寺店 店頭にて。

 

よろしくお願い申し上げます。