日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

夜中、目が覚めて。

 



 

 

 この後、午前4時を過ぎたら支度をして、撮影に出かける。 どこに行くのか、まだ決めていない。 行く先を決めると行動そのものに満足してしまって、中身が無くなってしまう。  面倒臭くもなるし。

 その時の無意識や直感に流されるのが、思いもしない何かに出会えて一番いい。 考えて作るのは、自分の意思の範疇内のことだから、飽きが早いのだ。 

 

 そんなわけで、文字にして見るような「写真を撮る」という自覚が、僕には無い。 

 

 目の前の視野に入ってくるものを眺めながら、この感じは何だろう?  という感覚。 その無自覚を写真は形にしてくれる。 写真になることで気付かされる何かが、僕の「撮る」の対象になる。

 上手に撮ってナンボの骨太な写真の世界にどっぷり浸かっている人の目には、そういうのは軟弱に写るかもしれない。 でも写真の捉え方は一つじゃなく、多角的なもので、その中から自然に続くことをやればいいと思う。 巷では、そういう話は、なかなか通じない。

 

 夕方、ラジオから微かに、バート・バカラック死去。のニュースが聞こえてきた。  

 

 自分にとってのバカラックは、『雨にぬれても』。 

 映画『明日に向かって撃て』を見たのは、1985~6年ごろ。 当時、高校生。 その時、バカラックという名前なんて、僕は知らなかった。

 作品の内容はもちろん、ポール・ニューマンが、僕は好きでした。 

あの頃、思い描いていた「古き良きアメリカ」と映画への憧れは、さらに思い出の彼方になる。