日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

小さな自分に何が撮れるのか。

 

 

 

 今朝も大阪の新世界を目指す。 御堂筋線大国町で下車して南に向かって歩き出すと、さっそく先週歩いたのと同じ景色に出会った。 よって、歩道橋を渡り先週の逆方向から通天閣を目指すことにした。

 

 いつもの如く、自分の気の向くままに歩いているから、その先、どんな街に足を踏み入れてしまうかもわからずに、ずっと緊張感があった。

 それほど高くはない通天閣は、すぐに目の前のビルに隠れてしまって、何度となく方向を見失う。

 しかし1度写真を撮った目の記憶というのは強いもので、撮ったことのある風景が目に写ると、突然反応する自分。 数年前に歩いた路地裏の、閉鎖された保育園の壁にも反応した。

 

 そして先週に続き2度目ともなると、通天閣の周囲の商店街にもいくらか親しみを覚える。  観光地の明るさに少しホッとする。 でも調子に乗って、安易に人にカメラを向けることはできない。 京都と違って、人間の匂いの強い街・大阪。 そんな対象を相手に、自分自身が写真家を気取ってしまうことは、一番いけないこと。

 

 いや、いや、いや。 それどころか、自分の存在の小ささを思い知る。 えらい領域に足を踏み入れてしまった。 ここからは、体力と意思の強さが問われる、今までになかった道の世界だ。