日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

言葉は瞬間の自由を奪ってしまう。

 

 

 

 

 今日の土曜は休み。 夜中に目が覚めたので、撮影中のシリーズのステートメントを考えてみる。 でも頭の中だけで考えても無理。 自分から出てくるどんな言葉も陳腐に感じ始めると、心はしだいに焦り始める。 とりあえず頭の外に出して、目に見える形にしなければということで、布団から出てPCに向かう。

 

 そこから約1時間後の午前3時にステートメントの文章は書き上がった。 案外すんなりと書くことができる。

 

 

 

 その後の午前4時に家を出て、大阪でいつも通りに撮影をする。 12月の午前6時は、まだ街も暗い。 手応えのない撮影が続き、そのうち途切れる。

 

 一旦、休憩する。 ドトールコーヒーにてモーニングのAを食べながら、その原因を考えるが、どうやら夜中に書いた文章が自分の心に影響しているらしく、撮る後先のことを考えてしまって、人にレンズを向けることも躊躇してしまう。 

 これじゃあダメだ。 写真を撮るのにその写真の価値や意味を先に考えてしまっては、写真の自由さが失われる。 何とかして弱気を捨てようと、最初から気持ちをやり直す。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先週だったか、映画『ケイコ目を澄ませて』を観る。

 良い。 観てない人、ぜひ観てみて。

 主演の岸井ゆきのはもちろん良かったが、それにも増して僕の好みは、やはり三浦友和である。 人としての優しさが滲み出て、とても美しい。

 しみじみと良い映画だった。