2017-01-01から1年間の記事一覧
どうも頭だけで考えることは、ろくなことにはならない。今あるアイデアは一旦仕舞っておくことにする。 これ以上落ち込むのは嫌なので。理屈張ったやり方は、ダメだと思い直した。下手な考えは休むに似たり、だ。 撮ってる時は、考えないのだけど。 でも、い…
お昼ご飯を食べて帰る途中の公園にて。まさに白昼。暑いから誰もいない。 さあ、どうしようか。いまから出かける気分にもならない。撮った写真には「暑さ」が写っていない。もっと色をとばして撮るべきだったか。その後、用事を思い出す。いい加減、溜まった…
1. 2. 3. 4. 1. 名古屋市、千種駅のプラットフォームにて。 2. 名古屋市、宿泊したホテルの窓から。 3. その室内。 4. そして、今日。 梅雨の間にのび放題だった草をむしって、いくらかさっぱりした庭。アラーキーはデジタルで撮った写真を、『非日記』と題…
ただ、展覧会を観るためだけに家族3人で豊田市美術館に出かけた。奈良美智 for better or worse Yoshitomo Nara for better or worse sorks: 1987-2017を観るため。 館内にて、まず先に入ったミュージアムショップでは、先日開催されてたアラーキー展のポス…
平日の休みは嬉しい。 月曜の朝をいつも通りの時間に起床し、息子を学校に送り出した後ゆっくりコーヒーを飲んでから、出かけることにした。行った先は琵琶湖の西。着いた頃には空は青くて、湖面も透き通り、水中には大きな魚の群れも見ることができた。それ…
さっきから予報通り、雨が降り出した。どんよりした天気での日曜の夕方は、憂鬱な気分になる。 だけども昨日が休日出勤だったから、明日の月曜は代休。怖いものなんて何もない。昼ごはんのファミレスで生ビールを飲み、帰って昼寝。起きてYouTubeで志ん生の…
その、雨宿りした前に撮った写真。 光の色が、少し違う。いかにも夕立の前という感じ。
傘を持たず「東寺」界隈を歩いていると、雨が降り出し、すぐにどしゃ降りになった。 JRの線路の下で30分くらい、雨が止むのを待つことにした。
陽のささない、どんよりとした日曜日。何処を見ても何処を撮っても、薄暗い。建設現場の囲いだけは晴天なり。
昨日の雨の中、庭のバラのつぼみが開いた。 撮らなければ、バラに申し訳がない。朝の6時に蚊取り線香を焚いて、庭に出た。 レンガの上に見つけた子どものナメクジを見ないようにして、隣のバラを撮った。
希望と不安のバランス。希望の分量は減らしたくないものだ。 不安も絶望も否定はしないけど、希望はゼロにはしたくない。何だか、退屈な毎日が続いてる。
1. 『フェリーニのアマルコルド』から。 2. 家のバラのつぼみが、ふくらんできた。晴天が続く空梅雨の6月の夕方の風景。
1枚の写真には、いろんな要素は集約されている。息子が写っているからといって、息子の心情に沿った写真になっているとは限らない。単に幼い子どもの姿形、形状に惹かれて撮った写真かもしれない。往々にしてその時間を撮る撮影者側の意思というのは、ひとつ…
歩きだせば、途端に余裕は無くなる。注意して見ようと思ってた場所も気づけば、通り過ぎてたりする。何をやろうとしているのだろう? 身も蓋もないことは考えても仕方がないと思うのだけど、その疑いが自分から無くなれば、すべては空回りに終わる。写真は難…
本を作る。いざ、実行するとなると覚悟がいる。当然だ。軽い気持ちでやれるはずがない。 だが、商売ではない。この言葉の差異は重要だ。発端がそうではないということ。商売的に考えてるのなら、こんなことはやらない。作ってしまったものと共に、作った本人…
以下の写真は、この前の日曜に撮った残りの分。あまりに天気が良過ぎて、明るい写真ばかりだ。 くたびれた上に退屈な夜の時間に、こんな写真を見ても、ピンとこない。言葉もでない。
半ズボンで京都御苑の森に入ったら、とたんに蚊にさされた。痛いくらいにかゆかった。初夏の強い日差しが、コントラストの強い風景を作り出すのが、撮ってて心地よい。 陽の照らされ方で撮る意欲が変わるのだから、写真なんていい加減なものだ。
最近聴くのは減ったけど、キリンジが好きだ。聴けば「いいな」と、今も思える。うっとりさせることが出来る、のは、その人のかもし出す力なのだろう。 音楽だ。音楽はうらやましい存在。人の心に寄り添う代表選手。でも、心地よさは、それで人のすべてなのか…
問題は、自分にはその資質があるのか、どうなのかということ。 言い換えれば、他人にとっても価値あるものを自分は作り出せるのか。このあたり前の、そして最初の壁となるものにぶち当たったまま、結果を得られないできた。 それにもかかわらず、20代の中ご…
昨日と今日は家で悶々としてた。 以下は、5月7日に撮影した写真の残り。
タルコフスキーの『ノスタルジア』を観て。 どこか、何か、腑に落ちない感じが残った。見終わって、DVDのブックレットの池澤夏樹氏の解説の文章を読んで。 書かれている内容は結局僕の持った感想と同じものだったような気がして、そこで初めて腑に落ちた気が…
昼ごはんのファミレスで生ビール、その後ひとり歩きの末の缶ビール。帰宅して夜に残りのワインを飲んだ。街を歩いていても、買い物という行為が空しい。何を買ったとしても今の自分には無駄だと感じる。 たまったフィルムを現像しなければ。いや、それより先…
田舎の風景は画面の中に自然の割合が増す。それはあたり前のこと。あたり前のものが、あたり前に写らないように。 自分が撮りたいと思う肝心なところは、夜明けの時間にフィルムで撮っている。布団の中で何を撮るか考えて、外が明るくなりだしたら、出かける…
ただ、ただ、きれいというだけで撮った、田舎での風景。