日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2022-01-01から1年間の記事一覧

写真の中の雨。

昨日は、雨が降るのを待っていた。 御池の中古レコード屋さんで時間をつぶしていると、ザーッと雨が降り出した。 そして今朝。 歩くのはやめにした。 布団に戻り、もう一度寝たが、4時過ぎに目が覚め、やっぱり近所だけでも、と撮影に出る。

自由とは不自由なり。

昨日は勤め先に有給休暇をもらい、今日と明日のもともとの休みを合わせて3連休の真っ最中。 とは言え、「愛と平和の三日間」などという非日常なこともなく、いつも通り僕は午前3時起きで写真を撮るしかないのである。 上の写真は昨日夜明けに撮った写真。 そ…

山怪、冨田勲、南方熊楠、植田正治。

6月26日午後の撮影。 田舎出身の人間が「郷土写真」を好むとは限らない。 僕は田舎出身の人間だけど、写真を使った田舎ドキュメンタリーは一般的には理解されやすいだろうが、それが素晴らしいかどうかは別だと思っている。 基本、「写真を撮る人」というの…

山怪、冨田勲、南方熊楠、植田正治。

6月26日午後の撮影。 田舎出身の人間が「郷土写真」を好むとは限らない。 僕は田舎出身の人間だけど、写真を使った田舎ドキュメンタリーは一般的には理解されやすいだろうが、それが素晴らしいかどうかは別だと思っている。 基本、「写真を撮る人」というの…

気ままに旅気分。

外に出ればいくらかは涼しいかなといつもの通りに撮影に出てみたが、ほとんど変わらず。 他とは幾分涼しいはずの樹々に覆われた京都御苑の横を歩いても、やっぱり暑い。 今朝は特に蒸し蒸しする。 足が1ランク丈夫になったのか、徒歩で家から堀川通りを過ぎ…

いつも渦巻いている。

写真家とひと口に言ってもいろいろある。 おそらく、自分が職業として写真家をやったとしても自意識がもたない。 あっという間に、自分で自分をみじめに感じてしまうだろう。 「何で?」と思われるだろうが、みじめなものはみじめなのだ。 自分という人間を…

九条山。

今朝は「九条山」に行く。 たぶん3度めの徒歩だけど、「蹴上」からの上り坂が結構堪える。 それでも、行ってよかったと思う。 好きな場所。 とりあえず、 とり急ぎ。

傘が邪魔。

予報では夜明けの時間は雨で、ならば雨の風景を撮ってやろうと大きめの傘を持って出ると、まったく雨は降る気配がない。 そのまんま、最後まで一滴の雨も降ることはなく、曇天の夜明けの街を撮ることになった。 以前にも雨の中を目的地に向かって歩き出すと…

絵にしてたまるか。

写真が創作となり得るのか? ということは置いといて、そういう精神状態でいることは、悪いことではない。むしろ気持ちがいい。何もかもが刺激的に感じられる。 まず、 土台の気持ちらしきものを作っといて、あとは成り行きに任せる。 「絵」にならないよう…

はじまりは、創作で。

「創作」として写真を撮りたいという考えに向き始めている。 自分の中での話だ。 傍目には何の変わりもないかもしれない。 ただ、その方が刺激的でいられる気がする。 理屈で構築せず、撮れた写真の意外性から面白さを掴み取り、それを積み重ねながら、どこ…

見えない自然。

昨年の秋に田舎で撮った写真を選んで並べてみた。 これを書いている今、水木しげるのドキュメンタリーを見てる。 パプアニューギニアを訪ねる1996年の番組。 現地の人々が自然の世界と精霊を水木しげるに体現し見せてあげる。 続けて、遠野を訪ねる2010年の…

決まりのない世界。

shop 、はじめました。 * 昨日午前、録画したNHKBS『21世記のBUG男 画家 大竹伸朗』を見る。そのまま家にいるわけにもいかず、撮影に出る。 モノクロのホワイトバランスを選ぶ。 続けて今朝の写真はカラー。 昨日と今日、撮影行為の臨界点が見つからない。…

夢見が好ければ。

shop、開設しました。 まだ、とりあえずの段階ですが、よろしく。 * 今朝は15,261歩、歩く。 苦い記憶の多い街を、今の自分なら何か見つけられるかもしれないと思い歩いてはみたけど、やっぱりダメ。 風景の発色も良くない。 いくら歩いてもさびしさからは…

さらけ出している。

shop、開設しました。 まだ、とりあえずの段階ですが、よろしく。 「私はあらゆる種類の真実、あなたの真実も誰かほかの人の真実もあると説くが、それらすべての真実の裏には、ただひとつの真実があるのみであり、それは真実が全くないということなのだ。 あ…

答えは無い。

「私はあらゆる種類の真実、あなたの真実も誰かほかの人の真実もあると説くが、それらすべての真実の裏には、ただひとつの真実があるのみであり、それは真実が全くないということなのだ。 あらゆる真実の裏には真実がまったくないと私とこの教会は説く! あな…

1958年、『アメリカンズ』。

ロバート・フランクの『アメリカンズ』刊行は、1958年。 同年にカサヴェテスの映画『アメリカの影』 前年、1957年にケルアックの『路上』 またその前年、1956年にウィリアム・クライン『ニューヨーク』とギンズバーグの『吠える』 ケネディがアメリカの大統…

ロバート・フランクの自作年表。

午前2時ごろに目が覚めて、そのあと眠れない。昨日もそんなだった。 寝転んだまま思いをめぐらせるうちに、ロバート・フランクの『アメリカンズ』の最初の出版は何年なのかを僕は知らないことに気づいた。 午前4時を過ぎて起き上がり、1992年の雑誌『Switch…

遊びあいて。

滋賀の田舎の実家の裏には、当たり前に畑が広がる。野菜の畑の外側には草花が咲き、そのほか鉢植えの花々も咲いている。 田舎の庭だから、都会のお金持ちのお庭のように上品で優雅とはけっして言えないが、それでも味わいがあり花々は可愛く咲いている。 自…

ほどほど。

いざ、休みになっても、何だか重い気分。 やはり戦争の影響なのか? どうにもガックリきている。 本当に悪い時代に突入してしまって、この先もずっとこんな事態が続くのだろうか。 密室で歪められた考えによって、平穏に暮らす人たちを本当に殺すことができ…

まあ、まあ。

今朝は12,148歩を歩いて、309枚の写真を撮る。 使っているカメラの細かい機能のほとんどを、僕は把握していない。だから知らない間にダイヤルが動いていても、それが何なのか、よくわからない。ああ、やっちまったな、で済ます。 今朝も気がつけば感度のダイ…

出たがっている。

午前3時をすぎた頃、布団からでて歯をみがく。 『ラジオ深夜便』をつけると、♪愛をなくして〜♪と『真夜中のギター』がかかっている。 用事をしてまたラジオの前に戻ってくると、今度は大川栄策『さざんかの宿』がかかっている。 今朝は12,680歩歩き、258カッ…

幸せであるように。

勤め先のラジオから、♪しあっわっせっであるように〜♪ という、浜崎貴司の声。 選んで、かまえて聴く音楽より、不意に心に沁みる。 いい感じで音楽を聴くのは、結構むずかしく思う。

わびしい。

目が覚めるタイミングが遅れて家を出る。 案の定、あんまり良くない。 昨日は曇ってても景色は良い色を放っていたけど、今朝はなんかダメ。気分がわびしい。 急な坂を登って歩きはしても、撮ったのは、たった40カットだけ。 以前も撮った山の斜面の薄暗い空…

おじいさんへの憧れ。

ウラの顔。 『飛び出し坊や』にもそれはあった。 今朝撮った写真。 展覧会を開催してた最中の変なテンションはおさまり、いつも通りの休日の朝。陽が上り、少し明るくなった頃には雨音も止んでいたので、近所を撮り始める。 ちょっとのつもりが、6,730歩を歩…

ありがとう。

創作とは、ロックンロールである。 無いものを生みだすのは、無かった世界を生みだすということでもある・・・などと、適当な言葉を書いてみるのも、案外、真理に近くのかもしれない。 「ああ、そういう感じね」と見たつもりになって、簡単に済ますのはもっ…

なるようになる。

「人生をいじくり回してはいけない」というのは、「水木しげる」さんの言葉。たしか著書のタイトルだったと思う。 自らの写真の展覧会をするというのは、自分の人生をいじくり回している感がなくもない。凡才ゆえに、多少の無理は強いられる。 それでも今は…

独特、頂きました。

この季節は気持ちが良すぎる。故に撮る写真もその気持ち良さに流される。 「春眠暁をおぼえず」というが、今朝は出かけるタイミングを逃し、夜明けの撮影はやめにした。 とは言え、普通よりは早起きしたものの、気持ちはぶれまくりで何も手につかないので、…

晴れた日。

関西人、大阪人、美術人。

5/2(月)午後。 岡崎で、展覧会のはしごをする。アーヴィング・ペンと、京都版画トリエンナーレ、森村泰昌の3つ。展覧会を見ながら、人が作品を鑑賞するとはどういうものか、自分の行動を通して体感しながら考える。 ほどほどに知ってるつもりだった森村泰…

休みの休み。

5月1日、午後。 5月2日、朝。 今日5/2(月)と、明日5/3(火)はギャラリーのお休みです。 開催中の私の写真展は、5/4(水)から再開します。