日な日な余波ははなやか歩く

週1~2回くらいのペースで、ここで写真展をやってます。「繰り返し」と「凡庸」は写真と人生の本質です。

2012-01-01から1年間の記事一覧

陽が沈む。

帰省した故郷では、とくにこれと言った出来事もなく、 撮るべき何かもよく判らず、ただ時間の流れに身をまかせてみた。グレーに沈んだ風景と、時間。 空っぽの気持ち。通り過ぎていく夏のにおい。ここにあるのは、日が昇る夜明けの時間ではなく、たしかに陽…

断片について、2

味わいをもって、その人の写真を見る。ことあるごとに、本やネットで思いついては眺め、その人の言葉も目にしたりして、その写真家のことを知っていく。 見る僕の中に、その人の「像」が作り上げられていく。そこでまた、写真を見る。 写真家の写真には、た…

空ネタ

言葉にできない感情を、綺麗に、または切なく写してくれる「鏡」のように、空を撮る。 何て、安易なんだろう。別にそんな大した感情が自分の中にも、在るような、無いような。 そんな自分のことは関係なく、夕暮れ時に向かっていく空には、ただ魅かれてしま…

断片について、1

この写真だけを見ても誰が撮った写真なのかわかる人は少ないだろう。写真家はおもて立った作風に限ったものばかりを撮るのではなく、「犬も歩けば」で、おもしろいものを見つければ撮る。 発表するかしないかは、その次の話。それは美術作家のように、コンセ…

京都、夏、2012年

京都らしい雰囲気を味わうようなこともせず、住み続けて20年。 京都らしい写真も撮らず、とくに意識もしない京都で、意識をするのは、夏の暑さばかり。

行間におもうこと、光の景色。

夏の朝。 何かに気持ちがかられたような気になってはみたものの、 どうすればよいのかも判らず、ボンヤリとする。 お湯をわかし、お茶をいれる。 その間、少し人を想ってみる。 画になるような思いやりは、何もなく、ただうらやんでいるだけの自分に気づく。…

夏の雪だるま

早朝、明日ギャラリーに個展の搬入しなければいけないのに、まだ何もできていない、という夢を見て 目が覚めた。 あのドキドキと言ったら、たまらない。夜中、ふと目が覚めて、今やっているギャラリーでの写真のこと、これから作ろうとしている写真集のこと…

平日の朝、夏。

見知らぬ街、その4

ああ、「どこか」というのはあるんだな、みたいなことを思う。見えるものと見えないものの境界をさまよう感じ。 「そこ」が在るのはあたり前なんだけど、その行ったり来たりを眺めてる感じ。眺望をたどる、というのは、自らの意識の地平線をたどるようなこと…

日常の言葉。

バスを降りた家までの道すがら。 もうすぐ雨が降り出しそうな夕刻、すこし黄色い空。 家族で海水浴へ。 海へ向かう車中から、ひたすら、撮ってみる。特別な風景がありそうで、でもすぐに過ぎ去っていく等価の風景を 偶然のタイミングですくい取る。ふと、民…

静かな夏。

夏に感じる静けさは、独特だ。 蝉の声がひびく中、それに反して、どこか切なく痛々しい。夏の終わりに憧れながら、夏を過ごし、 そして何も起らないまま、自分の中にある幻想の夏が、幻想のまま、過ぎ去っていく。意識が過敏になれば、そんな世界に陥ってし…

見下ろして、覗く。

時々、上に登って、見下ろしてみる。 それだって、代価が発生する。だから何かおもしろいもの、価値あるものを探しては見るが、 そんなもの、簡単には、見つからない。 遠くかすんだ場所を見るより、適度に近く、足下を見る方がおもしろいのに、ふと気づく。…

7月も終わる。

外の写真。

とどのつまり、写真の表現はプライベートな自分の意思や生理に左右されるしかない。 その裏返しとしてのポストカードであって、まずは、自分ありき、自分でジャッジするという意思が頼りとなる。それが注文仕事であったとしても、何を、どこから、どう見るの…

プライベートな写真、その3

プライベートなモノが写った写真と、プライベートの写真。この2つは似ているようで違う。 見せることを前提とした写真と、そうでない写真。「私写真」と言われるものは、個人的なことが写ったものでも、見せるという前提で撮っている。 すでに、その写真家に…

プライベートな写真、その2

一般的に「私がそこにいた」ということが、写真を撮るということだから、 ある意味すべては「私写真」だとも言えてしまうが、 やはり「私写真」とは、私が写るということを、とても自覚したものではあるのだろう。アラーキー氏も、当時の主流だった写真に対…

プライベートな写真、その1

アラーキーの言ってる「私写真」は、私が写っている写真という事だったと思う。 直接ではなく、間接的に。 その意味から言えば、あの方の写真は、たしかにアラーキー自身が写っている。 だって、写真みて、あ、アラーキーだなってわかるし。 そのことは、ホ…

写真のテーマとは?

はたして、僕は何をテーマに写真を撮ってるのか?と、もとをたどっていくと、良い写真を撮りたいということが、まず、あるのであって、 編集して見せようとする段階に至った時に初めて、方向とテーマを考えだす。これは写真をやってる人には、めずらしいこと…

身近なものが写った写真

自分の写真の多くのモチーフは、自分の身近なものが写った写真が多い。 それは、普段の時間の中で「見えた」という感覚を素直に受け入れているためである。写真を撮るのに、何か用意するのではなく、常に自分が見えてる目の前の世界を受け入れてるのだ。 結…

見知らぬ街、その3

少しの「差異」とは、自らの心境の変化に耳をすますということ。 そして、それに素直になること。自分はどこにいるのか? 場所の名前なんて、どうでもよくなる。自分の頭の中を彷徨っているようで、どこに向かっているのか。 出来上がった写真が、答えになる…

写真の取り扱い方。

コンセプトから始まったわけではないから、現代美術とは異なるものなのか?身近なもの、眼にうつる不確かな日常、時間の重なり、または抜け落ちたりする記憶。写真の編集は、見えたものを写したというプリントが実際在りながら、 そこに写る「見えないながら…

見知らぬ街

ここは、どこなのか、どうでもいいことさ細野晴臣の歌詞にもそんなのがあるが、 見知らぬ街をあてもなく、なんていうことに憧れたりする。写真はそういう感情を、具現化する。 その行為自体が、そもそもそういうことなのかもしれない。ボンヤリしてて、どこ…

見知らぬ街、その2

どこか、知らないところへ行ったって、 何かが特別になるわけでもなく、ほんの少しの「差異」を感じるだけ。めずらしいことなんて、望まない。 気がつけば、そこにあった隙間のような風景、そしてそのタイミングが大事。何でもない時間や場所の中にこそ、何…

忙しいのか、時間がないのか。

忙しいっていうのは、どこからが忙しいのだろう?時間がないっていうのは、どこから?みんな、どれくらい忙しいのだろう?毎日、朝から晩まで働いて、日曜の休みは、それなりに家族にもサービスして。 夜はぼんやり、自由なのは朝の5時からの1時間くらい。昨…

おっぱいバレーで、とき放たれる。

昨夜は、『おっぱいバレー』を観る。途中から。 日本映画専門チャンネル。綾瀬はるかが、かわいかった。 話の筋もおもしろい。 先生のおっぱいを見るためにバレーをがんばる中学生というのが素直に良くて、 時代は70年代後半というのも、見る側になつかしさ…

また夏がくる。

ひさしぶり、ドラマ『すいか』の DVDを観る。 高橋克実の頭には、まだ髪の毛があった。梅ちゃん先生にでてる今とは、だいぶ違う。 時代を感じる。 【送料無料】 すいか DVD-BOX 【DVD】ジャンル: CD・DVD・楽器 > DVD > TVドラマ > 日本 > ヒューマンショッ…

ロバート・フランク『アメリカンズ』の家族写真

ロバート・フランク『アメリカンズ』の最後の写真は、自分の家族の写真。 そのことをあらためて考えると、また、この本の見え方が変わってくる。ドキュメントでもなく、日記でもなく、写真ならではの「曖昧ながらも」っていう感じ。 今ではめずらしくもない…

日な日な余波は華やか歩く、2

日な日な余波は華やか歩く

近い過去、遠い未来